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1年休んで気づいたこと。元気そうに見えても、心は全然ついていってない

座椅子に座ってパソコンの前で考え事をする女性のアニメ風イラスト。明るい昼間の部屋で、心がついていかない日を表現したシーン。
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こんにちは、そらです。
ちょうど先日、仕事に行かなくなってから1年がたった。

乳がんの抗がん剤の時でさえ、時短にして働いてたのに。
メンタルでこんなに長く休むのは、人生で初めて。

なんかもう、ちょっと早めの隠居生活してるみたい。
これからどうやって生きていくんかな…って考えるのもしんどい。
でも考えなあかん。お腹は減るし、生活は続くし。

うつ状態って食欲なくなるって聞くけど、
わたしは逆で、食べて安心するタイプ。満たされない思いを食べて紛らわすというか…(なんなら過食気味に😓)
側から見たら元気そうに見えるけど、
心療内科の待合室にいる人みんなそんな感じなんよね。

なんでみんなここにいるんやろ?って思うくらい普通に見える。
でも、それってたぶん“わたしも同じ”なんやと思う。

この1年の休業で、体は元気でも“心だけがついていかない感じ”がずっと続いてます。
メンタル不調って、外からは見えない分だけ自分でも気づきにくいよね。

休業して気づいた、心が止まるようなメンタル不調

抗がん剤のときも、体はしんどかった。
髪も抜けたし、思うように動けない日もあった。

それでも「行かなきゃ」「休んでる場合じゃない」って思ったら、
なんとか仕事に行ってたし、「まだ大丈夫」って自分に言い聞かせてた。

でも今回は、ちょっと違った。

朝起きた瞬間に、「あ、もう終わったな」って思った。
「多分、もう行かないな」って、冷静に思ってた。

やることは頭ではちゃんとわかってるのに、
心だけがまったくそっちに向かってくれない。

あ、これもう無理なんだろうな、って。
そのとき、ふっとスイッチが切れたみたいになった。

病気のときよりもしんどい種類の「止まる」があるんだって、
そのとき初めて知った。

休業中の“早めの隠居”みたいな毎日と、押し寄せるメンタルの不安

仕事を休むようになってから、時間だけはたっぷりある。
家にいる時間も増えたし、予定がない日も増えた。

一見「ラクそう」「ゆっくりできていいね」って言われそうな生活。
でも、実際はそんなきれいなものじゃない。

なにもしていないのに、時間だけが過ぎていく。
スマホをなんとなく見て、SNSを眺めて、
気づいたら他の人の生活と自分を比べて落ち込んでる。

「このままで大丈夫なんかな」
「もうまともに働けないんじゃないかな」

そんな不安が、波みたいに定期的に押し寄せてくる。

それでもお腹は減るし、ごはんは食べる。
生活費のことも、将来のことも、頭のどこかではずっと気になってる。

“早めの隠居”って言えば聞こえはいいけど、
実際は、余裕よりも罪悪感と不安のほうが大きかったりする。

心療内科の待合室で気づいた「元気そうに見える人のメンタル」

心療内科の待合室に座っているとき、ふと思う。

みんな普通に見える。
仕事帰りっぽい人もいるし、
買い物のついでに寄りました、みたいな雰囲気の人もいる。

でも、ここにいるってことは、
それぞれ抱えてるものがあって、しんどくて来てるんだろうな、って。

外から見ただけじゃ、わからない。
元気そうに話してる人もいるし、スマホをいじってるだけの人もいるし、
いつもの日常の一コマみたいに見える。

きっと、わたしもその中のひとりなんだと思う。

「なんでここに来てるんやろ?」って思うくらい普通に見える人たち。
でもその裏には、それぞれのしんどさや理由がちゃんとある。

元気そうに見えることと、心が元気かどうかって、
まったく別の話なんだなってそこで気づいた。

それでも、今の気持ちを書いておきたい

正直、こんな自分の状態をわざわざ文章にして残すのは、
ちょっと勇気がいる。

「もっと前向きなことを書いたほうがいいかな」
「暗い話は読みたくない人もいるよな」

そんなことも頭をよぎる。

でも、この1年で感じたことをなかったことにしてしまったら、
自分の人生の一部を消してしまうみたいで、それもなんか違うなと思った。

順調に働いてた時期も、病気と向き合ってきた時期も、
そして今みたいに止まってる時期も、ぜんぶ「わたしの生活」。

うまく説明できないけど、
しんどかったことも、弱音も、そのまま残しておきたい。

同じように「今ちょっと止まってる」と感じている誰かが、
どこかでこの文章を読むかもしれないから。

…ここまでが、この1年をざっくり振り返った「大きな流れ」。
でも実際には、毎日はもっと細かい気持ちの揺れでできてた。

ここからは、そのなかでも特に忘れたくない“日々の感情”のことを書いておきたい。

朝起きてもやる気が出ない日が続く

休み始めてからしばらくして気づいたのは、
「朝起きても何もする気にならない日」が続くこと。天井ばかり見てた。

やることがないからやる気が出ないのか、
やる気がないから何もできないのか、
その境目がよくわからなくなる。

外に出たほうがいいのは分かってる。
太陽に当たったほうが気分が上がることも知ってる。

それでも、玄関のドアの前で足が止まる。

「今日も無理だ」と思いながら、
結局また座椅子に座ってスマホを見てるだけの日もある。

こんなふうに時間だけが過ぎていくのが、いちばんしんどい。

働けない自分を責めてしまうのも、メンタル不調のひとつ

世の中には、働きながら家のことも趣味も楽しんでいる50代がたくさんいる。
SNSを開くたびに、そういう人たちが目に入りやすい。

それを見て落ち込む。比べる必要なんてないのに、比べてしまう。

ブログも、わたしにとっては「本気の働き方」だけど、
周りから見たらただの趣味に見えるんだろうな…と思うこともある。

“何者でもない時間”って、平和そうに見えて実はすごく不安。
肩書きも、役割も、今のわたしには何もない。

そんな自分をどう扱ったらいいかわからなくて、
時々、自分にきつい言葉を向けてしまう。

それでも、“ゼロじゃない日”がある

止まってるように見えても、ゼロの日ばかりじゃない。

掃除だけできる日がある。
洗濯だけ回せた日がある。
いつもよりちょっとだけ気持ちが軽い日もある。

お風呂に入れた。
買い物に行けた。
ブログの下書きが1行だけ書けた。

そんな小さなことでも、「できたこと」に入れていいことにしてる。

生きてるだけで精一杯の日だってあるし、
それでもちゃんと生きてるから、ほんとはそれで十分なんだと思う。

心療内科の先生に言われた言葉

ある日、先生にこう言われた。

「なにもせんでいい。ただ生きる。」

そんなはずない。そんなのいいわけない。
だって、何もできない自分がいちばん嫌いだったから。

でも先生は、わたしが希死念慮を持っていた状況を見て、
“いまは責めないで”という意味を込めて、この言葉をくれたのだと思う。

ああ、「動けてない自分」を否定しなくていいんだって、
そのとき少しだけ肩の力が抜けた。

メンタルがしんどい人へ伝えたいこと

しんどいときって、「がんばれ」って言われても「がんばってるし!」ってなるよね。
むしろ、気持ちにふたをしてしまいそうになる。

だから、そういう言葉じゃなくて、
ただ静かにそばにいてくれるだけでいい。

今日を生きただけで十分。
朝起きただけで十分。
ごはんを食べたなら、それだって立派なこと。

そのままのあなたで大丈夫って、
伝えたい気持ちでこの記事を書いた。

迷っても、止まっても、方向が分からなくてもいいじゃない。
生きてるだけで本当はすごいことなんだよ。

休業中のメンタル不調って、外には見えないぶん理解されにくくて、
自分でも「何してるんだろう」って責めてしまいがちだよね。

ゆっくりでいい。一緒に歩いていこ😊

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